鶴田先生がこのTeikyoSat-4プロジェクトにかかわられたのはいつから?
着任したのが2020年4月で、着任と同時に参加したので1年とちょっとです。去年参加した2年生と同じぐらいの参加歴ですね。
実際に打ち上がる今のお気持ちは?
私は以前革新的衛星技術実証1号機の打ち上げの時にも、相乗りする人工衛星に携わっていたので、また来ましたね、という思いです。
ご縁があって、何度も打ち上げに参加させていただけて非常に嬉しいです。
今、何が一番大変ですか?
当然ながらやらなきゃいけないことに対して答えを出すまでの猶予が短くなっていきます。締め切りはもう決まったから衛星に触れられる日数が決まってしまう。
そうなると、今までは1週間かけてこの作業をやってもよかった、この決断をしてもよかったところが、2日で決めなきゃいけないとか、下手したら1日で決めなきゃいけない状況になるんですね。これは結構当たり前の世界で、企業に入ってからもすごい瞬発力を持って動かなきゃいけない時とか、瞬発力を持って考えなきゃいけない瞬間は必ずあります。
人工衛星プロジェクトはそれが山を登るかのごとく連続してやってくるので、打ち上げに向けてひたすら山を登っていかないといけないところですね。
宇宙にかかわりたいと思ったきっかけというのは?
高校生のころに、大学生が人工衛星の設計をやって賞を取りました、というニュース記事を見たんですね。
大学生でも人工衛星の設計ができるんだという驚きと、宇宙にちょっと挑戦してみたいという憧れもありました。自分がまさに触れたものが宇宙に行くという体験、すごく面白そうだなと大学生になるころにちょうど考えはじめて、航空宇宙工学科に行こうと決めました。
まさに今入ってきている学生さんたちと同じような考えで?
そうですね。だから今入学してくる学生を見ていると自分が学生だったころの気持ちを思い出します。
実際に憧れの仕事をするお気持ちは?
ご縁があって、人工衛星の打ち上げに10機ぐらい携わらせていただいて、いろいろな人工衛星で自分が触ったものが宇宙に行く経験をしていますが、何回やっても喜びや感動はあせません。
登山家の気持ちとか、何かを達成するアスリートの気持ちとかと一緒かもしれません。色あせてくるのかなとか、慣れてきちゃうのかなと思っていましたけど、いつでも一大イベントです。
憧れの中にはしんどいことも?
しんどいこともたくさんありますね。
だけど宇宙で何か自分たちがやろうと思ったことが成し遂げられた瞬間というのは、それこそ「宇宙から電波がきた!」という瞬間は、最高の快感で、それを得たいがためにずっとやっている感じですね。
学生にも話を聞いてみるとやっぱりそういう思いがすごくあって。何事にも代えがたい達成感があって、やみつきになるんですね。
研究者として、教える仕事をどういうことを感じながらやっていますか?
やっぱり帝京大学は幅広いところから人が集まっていて、さまざまなバックグラウンドを持っているので、バラエティに富んでいる教員陣だと思います。それぞれ教員の個性もありますし、学生との相互作用もたくさんあります。
教科書に書いてあることを通り一辺倒に伝えて、これが知識だよというだけではなくて、何か一緒に考えていけるように意識しています。
むしろ学生の方が詳しかったりすることもあって、やっていると驚かされるようなこともあります。
これからの時代をどう見ていますか?
2021年ぐらいで大学生として入ってきて、そしてさらに航空宇宙工学に入ってくる学生はきっと面白い世界で活躍するんだろうなと思います。
仕事として取り組めるチャンスが爆発的に増える可能性がありますし、昔は限られた企業でしかなかった宇宙に携わる機会が、さまざまなところで増えてきます。
今参加してくれている10代20代の若い学生たちと一緒にやっていると、自分もまだずっと若い気持ちでいられるなと楽しみながらやっています。
先ほどからお話を聞いていると、本当にこの宇宙や衛星が好きだという気持ちが伝わってきます。
大好きですね。
今回TeikyoSatは4号機と名前をつけていますが、4とつけている以上は5、6、7、8というようにたくさん作って、毎年入ってくる学生たちが1世代前の衛星を超えてやろうと成長していけるような、連続性のあるプロジェクトになってほしいです。
2010年3月、九州大学大学院工学府航空宇宙工学専攻博士後期課程修了。博士(工学)取得。 東京大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻・特任研究員などの 立場で人工衛星の研究開発に取り組み、2020年4月より現職。